初めて訪れる方のための「世界遺産、識名園の魅力」を徹底ガイド!

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はいさい!

シーサー夫です。

沖縄県の観光スポットとして外せないのが、世界遺産の「識名園」。

今回は沖縄旅行で初めて「識名園」を訪れる方のための
ガイドを文字におこしたので、参考にしてくださいね。

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世界遺産の「識名園」ってどんなとこ?

識名園は、18世紀の終わりごろに中国の様式と沖縄独自の様式の
折衷様式で建築されて建てられました。
琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに
利用されたようです。

指定面積は約12,726坪で、そのうち御殿(ウドゥン)をはじめとする
すべての建物の面積は、合計で約195坪となっています。

識名園はかつて、春は池の東の梅林に花が咲いてその香りが漂い、
夏には中島や泉のほとりの藤、秋には池のほとりの桔梗(ききょう)が
美しい花を咲かせ、「常夏(とこなつ)」の沖縄にあって、
四季の移ろいも楽しめるよう、巧みな配慮がされていたそうです。

所要時間は、だいたい30~1時間程度あれば堪能できるでしょう。
パンフレットに載っている、主だった建物などを巡りつつ歩けば、
大人の足で30分前後ぐらいです。

広大な面積と、長い歴史を持つ識名園ですが、第二次世界大戦の
沖縄戦で壊滅的な被害を受けています。
現在の姿は、1975年から約20年かけて再建されたものです。

識名園の造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを
楽しむことを目的とした「廻遊式庭園(かいゆうしきていえん)」です。

「廻遊式庭園」は、近世に日本の大名が競ってつくるようになった
造園形式ですが、識名園では、「心」の字をくずした池の形を中心に、
池に浮かぶ島には中国風あずまやの六角堂や大小のアーチが配され、
池の周囲には琉球石灰岩を積みまわすなど、随所に
琉球独特の工夫が見られる庭園になっています。

「識名園」の見どころと、7つのポイントは?

識名園はいろんな楽しみ方があり、見どころも満載です。

接待用に使用されていた識名園、中国からの客人に対して琉球王朝が
スゴイと思われる工夫が数々されていました。

1.識名園の植物達がすごい!

園内にはさまざまな植物が生い茂り、それをじっくり鑑賞するのも
楽しみ方のひとつです。

ガジュマルやデイゴ、アカギ、さるすべり、ランタナ、シャリンバイ、
コバテイシ、ソテツ、ゴモジュ、ヒラミレモン、バナナ、琉球松、
などなど沖縄ならでは植物があちらこちらに生えています。

2.S字に造られた石畳は、ワザとカーブさせている!

首里金城町の石畳道のように石がきれいに組み合わされているのではなく、
どちらかというと小石が敷かれているような雰囲気です。

S字カーブの石畳には、真っ直ぐ進むと時間が掛からないがS字にする事で
招待客が実際以上に広い庭園だと感じるようにしています。
また、真っ直ぐにしか進めない「マジムン」(沖縄の魔物)が
侵入してこないように、という背景があるそうです。

3.現在もなお枯れることなく沸き続ける名泉「育徳泉(いくとくせん」

周囲の小川や井戸で水が涸れても、ここだけは常に湧き続けていた
という育徳泉(いくとくせん)。

冊封使たちにも絶賛され、2つの石碑が今も残っています。
水質はもちろん、石積みもお見事ですよね。
沖縄独特の「あいかた積み」で優美な曲線が描き出されています。

また、育徳泉はシマチスジノリというとても珍しい紅藻類の発生地として、
国の天然記念物としても指定されています。
こうした美しい水が、識名園を支えていたのです。

4.琉球王家自慢の開放的な別邸「御殿(うどぅん)」

15の部屋を持つ御殿(うどぅん)の総面積は約160坪あります。
高くつくられた床は風通しがよく、沖縄県特有の湿気に負けないように
工夫されています。


こうした知恵は、木の根をそのまま利用している軒先の柱からも
うかがい知ることができます。


現在は使用禁止となっている玄関から、王家や冊封使は建物に
上がっていました。


そして、右手に進んで一番座の方でくつろいでいましたが、冊封使の場合は、
着いてまず前の一番座で王から出迎えられ、お茶の接待を受けていたようです。

その他、かつて琉球王国で茶道が盛んだったことを示す茶の間や、
大きなまな板が目に入る台所、できた料理をあたため直す御茶湯御酒羹所
(おちゃゆおさけあつものどころ)などからも、多くの人々をもてなしてきた
歴史を感じることができます。

ちなみに、当時の王様は時間や場所によって専用の衣装があったようで、
一番座の裏側に、着替えを置く控えの間である御裏座が設けられています。

5.2つの橋(石橋)と心字池と六角堂。

池を渡す連続する石橋は、中国河南省のクリーク(小運河)にかかる石橋が
モチーフになっています。材料は琉球石灰岩です。
御殿に近い石橋は自然の太湖石(中国庭園でよく使われる、穴が多くあいた石)を
イメージしてつくられていて、これは中国からの冊封使への心づかいとも
いえるでしょう。
それぞれの国のいいところをうまく取り入れているところも、
識名園の特徴のひとつです。

六角堂に柳の木?
もはや沖縄(日本)じゃないみたいですよね。
これは親交のある中国に対してのアピールです。

かつては、池に小舟を浮かべて涼を楽しんでいました。
その小舟を揚げていたのがこの場所です。
六角堂の周りをゆったり進む小舟を思うと、なんだか風流ですよね。
古き良き時代を感じさせます。

識名園の御殿の前に横長に広がる池は、心字池と呼ばれ、
上から見ると漢字の「心」という字を崩したような形になっています。
これは日本の庭園でもしばしば見られる技法です。

6.中国使節に琉球の広さを知らしめたパノラマの展望台「勘耕台」

沖縄の高台からの見晴らしといえば、オーシャンビューがつきものですが、
冊封使の碑も残る勧耕台からは、珍しいことにまったく海の気配が
全く感じられません。

これは、中国との外交におけるイメージ戦略の一環でした。
つまり、琉球王国は狭い島の中にあるという先入観を持った
中国使節がここに立つと、海が見えない景色に「実は結構広いのか!?」と
驚き、その力を見直したというのです。

勧耕台は、琉球王国の知恵が発揮された名所として、今に残っています。
戦前には眼下には田畑が広がっていたといいますが、現在ではさまざまな建物が
建ち並んでいます。
かつての中国使節たちも、時代の変化にはびっくりすることでしょう。

7.識名園が世界遺産になるまでの流れ

〇1941年(昭和16年)12月13日に国指定の「名勝」となりました。

〇1945年(昭和20年)4月、第2次世界大戦の沖縄戦で
「識名園」は破壊されました。

〇1975~96年(昭和50年~平成8年)総事業費7億8千万円をかけて
復元整備されました。

〇1976年(昭和51年)1月30日国指定「名勝」。

〇2000年(平成12年)3月30日に国指定「特別名勝」となりました。

〇2000年(平成12年)12月2日には、ユネスコ世界遺産
(琉球王国のグスク及び関連遺産群)として登録されました。

識名園
【住  所】沖縄県那覇市真地421-7
【電話番号】098-855-5936(識名園管理事務所)
【営業時間】 4月~9月 9時~17時30分
10月~3月 9時~17時
【定休日】 水曜日※臨時休園日あり
【利用料金】入園料 大人400円、小人(中学生まで)200円
【駐車場】無料(約60台)

最後までお付き合い頂きアリガトウございました。

またや~さい!

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